メソアメリカでは最初に2つの種族の文化が栄えた。
◆オルメカ人
紀元前12世紀までに宇宙・神々・支配者のシンボルが
組み合わされた図を表す石碑や裁断を作った。
◆サポテカ人
最初に暦法と文字を使用した文化。彼らの間で崇拝された文化が
天体を中心としたものであった。
アステカ人は日食や月食、近世の軌道などを観測し、これらが宇宙の規則的な運動ではなく、
神々の営み・創世から始まる神話の世界の出来事の反復として捕らえていた。
マヤをはじめとするメソアメリカの人々は今現在の世界よりも前の世界の存在を信じており、
アステカ人によれば現在の世界は「五番目の太陽」と呼ばれる周期に入っている。
今までには「土の太陽」「風の太陽」「雨の太陽」「水の太陽」の世界があり、
それぞれがその属性に起因する理由で消滅している。(洪水が起きた、など)
【現在の世界】
テスカトリポカとケツァルコアトルが協力し、創造神から生まれた四人の息子が
また別の四神の力を駆りながら大地の中心に向かって4本の道を書き
大地が四つに割れた。そうして8柱の神々は崩れ落ちていた点を一斉に持ち上げた。
そうしてさらに天を支えるためにテスカトリポカが輝く鏡をつけた木に、
ケツァルコアトルがエメラルド色のケツァル鳥の羽をつけた木に変身した。
二人は功績を称えられ星の主となり、天の川は彼らが星空を渡るための道なのだという。
【第五の世界】
神々は太陽となる神を選出し、ナナワツィンとテクシステカトルの二人が
テオティワカンと呼ばれる土地で苦行を行ってから火の中に飛び込んだ。
(二人が苦行を行った「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」が建てられている。
このピラミッドは天然の洞窟の上に建てられており、大地から人が現れた
天地創造の様子を表しているとも言われている。)
先に飛び込んだ勇敢なナナワツィンは勇敢な太陽神トナティウとなって生まれ変わり
東の空に上ったが、テクシステカトルも続いて月として上ってきた。
これでは世界は明るくなりすぎるとして、明け方の神がどちらかを打ち落とそうと矢を放つ。
しかしその矢は外れ、怒った太陽が矢を打ち返してきた為に
明け方の神は冷気の神にされてしまった。
続いて神々は、テクシステカトルのほうに兎を投げつけた。
すると傷ついた月の輝きは太陽よりも弱まり、満月の日には兎の影が現れるようになった。
こうして太陽は誕生したが、空中に留まったまま一向に動こうとしない。
そこで神々は自分の心臓をナイフでえぐり犠牲としてささげ、太陽を運行させた。
そのため、五番目の太陽が運行するには神々が自己犠牲を強いたように
人間も心臓と血を太陽に捧げなくてはならないとして、
古代アステカ人は生贄の儀式を行った。
これが今の五番目の太陽「動きの太陽」である。
【考察】昼と夜、神と人
メソアメリカの対の思想の中で最も基本的なものの一つが昼と夜の対比である。
夜明けの到来は神話の終わりであり、神々の時代の終焉によって人類の歴史が始まったとされている。
マヤ・キチェ族の『ポポル・ヴフ』という書物の中では、
初めて太陽が現れたとき、神々や獣は石に姿を変えられてしまい、
神々の時代が終わりを告げたとしている。
太陽が力を効かせている昼は安定と秩序をもたらし、夜は神々や魔物のさまよう時間となった。
日食は昼間にも関わらず太陽の光が遮られる為、星や夜の生き物の脅しとして恐れられた。
元の文章の中に明記されてはいないものの、
古事記や中国神話においても夜が神々の時間であった。
アステカにも鶏を使った生贄の儀式があるが、これは鶏信仰の表れというよりも
後に訪れた征服者が土着信仰を禁止した際、鶏で人の代理をさせたものと考えられている。
しかし、昔の人々が夜=暗い=冥界のイメージという認識を持っていたのは
世界的な共通認識である事に間違いは無さそうだ。
■参考文献
「マヤ・アステカの神話」カール・タウベ(1996)丸善ブックス
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